出雲の旅 なにか不思議な世界を感じる | サラリーマン→ビジネスオーナーへの道

出雲の旅 なにか不思議な世界を感じる

出雲へ旅してきました。

 

4時起きして羽田空港に向かい、ラウンジで黒酢ドリンク飲んでから

朝一のフライトで米子空港へ。すぐに松江駅までのバスに乗ります。

松江到着が数分遅れてローカルバスに乗れず、

タクシーで松江しんじ湖温泉駅へ。

1日乗車券を買って出雲大社行の電車に飛び乗る。

ここまで分刻み、いや秒刻みの大移動。

 

タクシーの運転手の方との会話で、駅から大社までの参道左手にある

竹内まりやさんがオーナーの旅館の話をきいたり、

稲佐の浜は子供の頃、海水浴に行っていた、昔は弁天島は陸続きでは

なかったといった話を教えてもらう。

 

一畑電車は、ご縁電車しまねっこ2号なるピンクの車体で

おじさん一人旅には違和感あり。宍道湖の輝く湖面を眺めながら

ふと気がつくといつの間にか進行方向が逆になっている。

あれ?スイッチバックした?この単線のどこで?謎。

調べたら一畑口駅にそういう名所があるらしい。寝てたみたいだ。

 

で、到着したら竹野屋さんを見つけたものの、空腹&開店に

間に合わないと余計並ぶだろうという焦りの中、大社の鳥居を

くぐらずに神迎えの道へ左折して荒木屋さんへ。

 

縁結び天セット 1,670 をいただく。

天ぷらサクサク、お蕎麦は素朴な味わい、少し甘めのつゆと合って旨し。

甘味のぜんざいまでついて、蕎麦湯はおかわりもできて満腹。

 

腹ごしらえが終わったら、最初の目的地の稲佐の浜へ。

青空が眩しすぎ。ここから神在月に八百萬の神々様が上陸か。

お砂をすくいます。

 

少し北に向かうと屏風岩があります。

 

 

国譲り神話にでてくる国譲りの話し合いの地です。

でも全くもって適当な扱い。立入禁止の看板は斜めだし

民家の敷地内みたいな感じだし、重要拠点なのに雑すぎる。謎だ。

 

そしてそこから少し歩いたところに、上宮があります。

 

 

ここで、八百萬の神々が年に一度集まって生きとし生けるものの幸福と

繁栄につながる縁をどうするか話し合うという最重要拠点なのに

まったくもってまたもや適当な扱い。防犯カメラ1台あるだけ。

そして土曜日の昼過ぎというタイミングに誰も参拝していない。

これ、とても大事な観光資源だと思うのですが。。。

 

まあお陰様で貸し切りで参拝させていただくことができたので

個人的にはありがたかったです。それにしても本筋の神話を雑に

扱いすぎなのでは?と素人は思ってしまうわけです。

 

この上宮、素戔嗚尊、スサノオノミコトと、

「八百萬の神」が祀られています。

 

それなのに誰もお参りしてない。

少し手前の下宮なんてもう道端の祠のような扱いでした。

そこからしばし歩いて出雲大社に戻ってきました。

 

 

鳥居をくぐると、なぜか下りの参道です。

普通、上りですよね。謎。

 

そして、拝殿前の参道、御覧くださいこの曲がり具合。

拝殿も真ん中に入口無いんですよ。どうしてずらしてあるの?

まっすぐ進めない何かを閉じ込めておきたいからとか?

しめ縄も左右が逆。なにか不思議。

ここからぐるりと回り込むと、かつての柱の跡がみつかったところが

本殿に一番近いところなのだそうだ。

 

 

3本まとめて太い柱にしていて近くの博物館に出土した柱がありました。

 

 

ただこれ鎌倉時代のもので技術が損なわれてきていたためか建てた

大社が倒れちゃった名残りなんだそうですね。

その頃で48m、最初はその倍の96m高さだったとか。

 

(こちらも博物館にある模型です)

現状の本殿は、なんとわずか24m、最初の1/4、縮小の縮小です。

 

最古は、なせここまで高い社が必要だったのですかね。

大国主之命が国譲りのバーターに要求したとありますが

苦労して造った国をこんなタワー社ひとつと交換しますかね。

 

しかもですよ、その大国主之命は正面に向いて祀られてないんです。

 

本殿の右奥に東に向いているのだとか。その前には守り神的な六神様が

正面を向いているそうで、何も知らない我々はその六神様に参拝して

いるのです。

 

国を譲る条件に建ててもらった社なのに他にも六神も一緒に

こんなに小さなところに押し込まれるのってありえなく無いですか?

しかも多くの参拝者は横からお参りして帰ってしまうんですよ。

苦労して造ったものと引き換えにこの扱いで普通満足できますかね。

 

この看板のあるところがちょうど大国主之命の正面なのだそうです。

諸説あって稲佐の浜を向いているとか言われているそうですが、

それならそっちを正面に社を建てますよね普通。。。

 

あたかも大国主之命が暴れ出さないように六神様が睨みをきかせている

かのような配置。そして二拝四拍手一拝。

この四拍手も正式な八拍手の半分だという理由が公式見解?のようですが

ピンときませんね。幸せの四ってのも後付けっぽいし、

四て縁起よいんですかね?もうこれも謎。

 

そして、本殿の裏にひっそりと建っているのに出雲大社の

最大のパワースポットと言われるのがこちら。素鵞社、すがのやしろ。

素戔嗚尊、スサノオノミコトが祀られています。

 

 

ここも真ん中外して右寄りの入口。おそらく中も大国主之命と

同じように逆コの字になっていて奥に東向きに祀らているのではと

推察します。両名を閉じ込めておきたい何らかの意図を感じます。

 

ここの裏手で稲佐の浜の砂と交換して持ち帰ります。

しばらく素戔嗚尊のお側にあってパワーを溜め込んだ砂です。

で、きっと東向きに祀られていると信じて正面にあたるところから

改めて参拝します。

 

ふと視線が屋根に行くと、なぜかもくもくと湯気が立ち昇っている。

動画もアップでとったのですが湯気が竜巻のように渦を描いて

登っています。他の社ではこんな湯気たっておらず、ここだけ。

 

 

勝手な希望的推測ながら、スサノオノミコトは、いまだに

強大なパワーを秘めていて、それが溢れ出ているかのように感じます。

不思議。皆さんもぜひ行ってみて、確認した結果を教えてください。

 

古代出雲歴史博物館では、柱の他にも県内の遺跡からでた

国宝の大量の青銅の剣や銅鐸が見られます。なぜか写真がうまく

とれない謎。この下の方がグレーな写真を最後にその後、

電車に乗るまでの写真が撮れてない涙。

 

なんでですかね?

 

銅鐸、大量に埋められていてしかもバツ印が彫られていたのは

文化を破壊しようとしたからでは?出雲の国を滅ぼした大和の国が

出雲の国の祭事の道具を破棄させたのではないかとこれまた勝手な

推察です。まあ誰も真実はわからないのでご容赦ください。

 

ここに展示されている勾玉と銅戈が出土した命主社にも行きました。

左隣に公園があって子供が遊んでいるのが微笑ましいのですが

ここもすごいパワースポットなのでは?これまた雑な扱いです。

その先の真名井の清水も雑な扱い。もっと崇め奉らないと!

 

で、いずれも貸し切りでした。

出雲の名だたる名所旧跡が全くもって見向きもされないかのような

扱いなのには本当に驚きます。

 

それだけ無理やり縁結び的な、それこそチョコレート業界の

バレンタイン&ホワイトデー的なプロモーション大成功なのは

建替えや補修維持運営等の費用をお賽銭とお守り、おみくじ等で

たくさん集めたい側としては良い話ではありますが、王道の神話が

隅に追いやられているようでなにかこう物悲しいです。

 

四国の山に契約の箱を隠してそれを守る結界を強めるために

お遍路さんがあるのでは?とか

東京の山手線と中央線で陰陽五行の結界を作って

新宿御苑と江戸城・皇居を守っているみたいな都市伝説的な

話なのかもしれませんが、我々の知らない世界が色々とありそうです。

 

そんな事を考えながら、この日は結構歩きました。

 

 

一畑電車で松江に日帰りして温泉宿に。早起きして暗いうちに

露天風呂へ。見上げた四角い夜空には大きな北斗七星が。

何かを暗示させます。

 

そして今度は路線バスとコミュニティバスを乗り継いで美保神社へ。

 

こちら恵比寿様を祀っているとのことですが、

大きな社が2つ。義理の母と子の関係なのに本殿を2つ建てて

並べて祀るかなぁ。謎。

 

 

お守りが鯛の柄なのが可愛い。釣り好きとしてご購入。絵馬も

細い竹竿に吊り下げられて飾られているのが良い。

それにしても本当に人が少ない。出雲大社の何十分の1。

レンタカーか自家用車でないと来にくい。

コミュニティバスだと一日数往復。それもドライバーさん不足で

間引き運行。スケジュールミスると帰れません。

 

 

いやはや、出雲も、国譲りの神話も、もうほんと私は知らなすぎた。

そして知れば知るほど謎だらけ。わからないことだらけ。

一度行ったくらいでは謎のほうが増えて終わり。

 

ここからは更に飛躍しますが、

日本の歴史だって、1万数千年も続いた縄文時代があまりハイライト

されていないように感じます。

 

縄文時代が終わりを迎えることになった7千年前の鬼界カルデラの噴火、

そこから日本を離れて世界に旅立った縄文人、下手すると彼らが

世界各地で文明を築いたのでは?紀元前4千年前のメソポタミアが

人類最古って、そんなの縄文が終わってからざっくり千年も後の話です。

 

そして1万数千年も続いた時代なんて世界にありません。

争いの傷でなくなった骨や、武器が出土しない縄文時代。

平和で、装飾品など審美的な文化があり、

互助精神、シェアエコノミーを地で生きていた幸せな人々。

いろいろと思いを馳せてしまいます。

 

もはや我々、正しい歴史を知らされていない可能性無いですかね。

日本が世界最古の文明発祥の地になったらまずいんですかね。

人生の半分を過ぎていますが命あるうちに、もっと真実を

知りたいものです。

 

各地でのお参りの都度、自分の願い事よりも、

国の礎を築いてくださって、ここまで日本を存続させるべく見守って

くださった神々への感謝の言葉をたくさん述べてきました。

 

ありがとうございます。